映画『アバター / Avatar』を22時から見ました。
およそ、3時間にも及ぶ内容です。
3Dか否か
今回3Dを見たのですが、
事前に3Dでないものを見た人から感想を聞いていました。
映像はとてもキレイです。
ただ、3Dだとやはり映像の綺麗さが半減とまではいかないけれど、
どうしても遠近感出すために、ぼやけて見えちゃうんですよね。
迫力を楽しむなら、3Dを。
映画の映像を楽しむなら3Dでないものを見るのがお勧めという結論です。
青い肌と幻想世界
青い人…結構奇抜な発想ですよね。
幻想な自然と青い肌がとてもマッチしていてよかったです。
人の肌より、際立って見えたので、
魅せ方がうまいなぁ~と。
原始と近代の対極、そして地球のこれから
あの髪の毛と木と動物との会話。
攻殻機動隊を思い出しました。
近代的という手段が必ずしも優れているものとは限らないんだなぁ。
映画の中の世界では、
地球人が地球で自然を捨て近代的な社会を築いているという設定で、
機械社会=とても優れている
対衛星のパンドラでは、
自然と共に歩んで命を大事にし、共存した世界を築いているという設定で、
原始=未開人
という対極で描かれていますが、
必ずしも近代的世界が優れているとは限らないんですよね。
近代でその中で捨てなくてはいけなかったものを
捨てずに共存し進化していくことが一番優れているということです。
今の社会、これからの未来を対極であらわして、
実にうまく描いているな~と思いました。
もし地球が自然を捨てなければ、どういう世界があったのか。
自然を捨ててまで生きていくことが、それが果して幸せなのか。
これは他にも言えて、
古い技術を現在の技術をもってしても、
完璧に復元することは不可能なものがあるように。
今までも捨ててきたものの中に、とても優れていたものがあったんですよね。
それを失って始めて、今の技術で復元して、完璧に復元できないことを悟った時、
失ったものの大きさに気づくんだなぁ~と。
古い伝統技術など、まさに言えることで、
何年も何十年もかけて修行して、技術を磨いていかなければならないため、
後継者がいないという悩ましい声がテレビでよく流れていますが、
伝統技術の滅びがこれから続いていくと思うと、心が痛みます。
一度失ったら二度と完璧にはよみがえらせることは難しいですから…。
各言う私はIT業界にいて、新しい技術に常に敏感でいないといけない社会。
一方で、ずっと続けていた書道から一線離れているので、
危機感が募りました。
続けないと技術は落ちる。
一方で新しい技術を学ばないと置いていかれる。
新しいものを受け入れつつ、古いものも維持していく・・・。
その対極のバランスを保つのが本当に難しいですね…。
話は逸れましたが、私がアバターを見て思ったことはこんな感じです。